たまげた・・・
真っ白い空手衣の胸元や肩や腕にはみごとに鮮やかな牡丹、龍、虎、鯉等の刺青がはみ出し、パンチ、角刈り、サングラス、尖がった眉に髭、白い腹巻に雪駄の集団。
当時は、決して後ろを見せてはいけない、前へ出ろと云う指導法でしたので相手が誰であろうが立ち向かう稽古は続きました。
社会人も学生さんも中高生も白バイ警官も日々、先輩達は道場から遠ざかって行きました。
最初の組員さんは4~6名でしたが3ヶ月も保たなかったのです。
やがて、一般道場生や先輩達も戻り賑やかに稽古する間もなく、次は別派閥の組員さんが40~50名毎週やって来ました。
毎週3回の稽古は基本、組手、サンドバック、組手、体力運動、組手とバッタバタと怪我する暇もないほど、強烈な虎の穴的稽古でした。
若い衆の空手は攻めて来るか、逃げ惑うかの二通りしか出来なかった様です。
当時の組手は、殆どがケンカ殺法で顔面と金的は禁止だよ!それ以外は何でもいいと云いながら道場の師範が持つ竹刀で残り1分だ!やれっ!倒せ!と背中や腕を竹刀で叩く合図でスィッチが入ると目の前の相手を何が何でもぶっ倒すやり方でした・・・例え目を潰そうが髪を引っ張ろうが倒しても何度も起こしては倒し、顔面踏みつけて後頭部を床に打ち付けても参りましたと降参するまで無我夢中でした。
当然、受け方なんて教える訳でもなく、受け崩すと云う技術は殆ど存在しませんでした。
親分さんや若頭さん等は礼儀正しく一人一人に稽古の始まりと終わりには深々と礼をされていましたが、若い衆は基本稽古中にトイレへ逃げ込み、組手の時間になるとトイレで喫煙しながら出てきませんでした。
親分さん等はいつも、嘆いて居られました。
そんな時代は、やがて過ぎ行くものです。
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鍛練は続く・・・