~ Traditional Karate blog~

田舎での暮らしや思いを書いている老いぼれです。 また、H・李小龍北海道倶楽部・Kと日本IUMAに所属しマニアックなことや技術的鍛錬で人生を楽しむ日々です。 芦原空手(四国修行時代)や日々修行の溜め込んだ秘蔵映像を発信していきます。

「守破離」の言葉・・・

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深夜、NHK放送で倉本 聰氏のラジオドラマ裏舞台を見た。
表現のこだわり方や研究心が異常に細かく役者さんや録音スタッフや自分に対しても凄く厳しい。
其処は天才といわれたケンカ十段A先生と似ている。
最後に話された「守破離」の言葉が印象に残った・・・
600年前の能から生まれた言葉だ・・・訳すとこうなる。
①「守」・・・疑問を持たず、清濁併せ呑み、師の教え(型)を忠実に「体現」出来る様に取得する。
(確実に、「当たり前」のように「体現」出来ねば「守」にあらず)
②「破」・・・その「型」を確実に「体現」出来る様になった時、初めてその基本に則して応用し、自分自身のスタイルを模索する期間。
(「型」はどんなに洗練された「完成品」であっても、それをこなす人間のスタイルや資質、若しくは経験に合致するとは限らない。それを踏まえて、自分自身の「型」を模索する時期である。)
③「離」・・・その試行錯誤して見えてきた「自分の型」を、経験に基づき肉付けし、若しくは削り磨き上げて、師の「型」から「前進」し、「独自の型」を「創る」段階。
(「前進」せねば「離」にあらず。また、ここは到達点にはあらず)
守破離」の言葉は、私達が追究している立場に凄く、合致する。
守って(基本的)ばかりでは確かに進歩がない。
今は「破」の段階に入っていると感じる。
基本に則しながら自分というスタイルを他流からも研究する。
だが「離」の段階にはまだ、早過ぎる。
この辺を謙虚に考えないと自分はもう凄い高い処に来ていると早合点する若者達が多い。
過去には「自分たちの編み出した新しい組手の型を作ろう」と勘違いする人も居たことがある。
放送作家である倉本 聰先生は75歳の高齢だが作家職人にこだわりを持ち続ける
好きな作家の一人である。
守破離」の言葉を人生に例える凄い達人と感じた。

何ごとにも「守破離」の言葉が人生の教訓となる。
皆さんもこの言葉を自分に当てはめると人生観が変わってくると思いますが如何でしょうか?