くまモンの巨大地震から帰りました!
鉄壁すぎる熊本城!
無事、九州から帰りました。
映像は、素晴らしい我が国の誇りである熊本城です。
九州地方の大地震で亡くられた皆様のご冥福をただ祈ります。
お怪我された皆様、今も避難されている方々に後ろ髪引かれる思いのなか、熊本空港は閉鎖され、何とか福岡空港から空飛んで帰ることができました。
熊本城が崩れる巨大地震の4時間30分前には天守閣に昇り熊本の街並みを眺めていたのです。その後ライトアップされた城が傍で見える高級料亭にて芋焼酎を堪能し、繁華街に出てからビルの4階綺麗な店でほど好く飲み終えて席を立とうとした21:26、ガラステーブルが舞いグラスやボトルがグシャグシャに割れ、壁の額も落ち、これはショータイムか?このまま死んでしまうのかと思いました。避難階段を下り路上へ出ると全てのビルから警報ベルやサイレンが鳴り続けアーケード街には人だかり、パニック状態でした。地元の女性は泣き叫ぶ光景が目に入ってきました。
路面に立っていても余震が足元を縦に横に揺れ続け、酔いもすっ飛んでしまいます。
私は、仲間達と酔った状態で路面電車やバスやタクシーもストップ状態でホテルまで空と路面を確かめながら、歩きました。ヘリコプター、救急車、消防車、パトカーも彼方此方走り抜けて行きました。ホテルニューオータニに着くとエレベーターも故障し階段で9階に上がることも許されず1階ロビーで300名ほどの外国人の方々と雑魚寝で一晩過ごし・・・驚きと焦りが走ったわけです。私の携帯には沢山の安否メールが入りましたが充電もできず、やがて使えなくなりました。
次の日は、9階非常階段を上って部屋から手荷物を取り出し脱出。
日本屈指の温泉街でもある大分県にある湯布院へ移動して観光しました。
其の夜は、町に3軒しかないスナックで芋焼酎を堪能し、河島英五や吉田拓郎の音痴なカラオケで楽しみ、酔いながらタクシーで旅館へ戻り寝床に着き、やれやれと30分寝たところで横揺れが始まり、1時間以上も続きました。
宿から避難して下さいと女将の掠れた声が響き、グラグラ揺れる2階の部屋で何とか着替え駐車場へ避難し配られた毛布と布団に包まり、真っ暗闇の中、朝を待ちました。
周りの中国、台湾、香港、韓国の家族のお客様も避難され、みんなで布団や毛布、暖かいコーヒー缶を分け合いました。小さなお子さんを抱えた韓国の家族には私の持っていた毛布の1枚を手渡しました・・・助け合いが大切です。
朝にはロビーの床に座りTV中継で またもM-7.3や6弱の情報が入りました。
旅館や観光店内は、ガラス商品が散乱し割れ物も転がっていました。
湯布院をバスで出発する直前7:20頃、縦横へと大きな揺れになり治まってから出発し、窓から近所の小学校グランドには地元の被災者が満杯状態で自衛隊隊員が用意する水炊きを順番に並ぶ姿が見えました。
四国修行時代に「なぁ、パ~ンッと来ても慌てないけん。強烈なパンチや蹴りが来ても冷静な判断が必要なんよ!」その様なことを芦原英幸館長は常々仰って居られました。
今は、携帯電話を飛行機内に落としてしまい・・・今朝、東京の航空会社に捜索願い入れたところ見つけて頂きました。携帯には名前が書いていません。
「お客様、大変お待たせ致しました。携帯画面に黒い帽子を被る男性が二人映っていますがお客様のものですか?」
「これがブルース・リーですか?」
「ハイハイ、芸名はリー・シャオロン、本名はリー・ツェンファンです。ハイ」
携帯電話は東京から北海道へ飛行機に乗って帰って来るそうです・・・しばらくは連絡は付きません。
やられたぜ、くまモン!
これも鍛錬・・・つづく