~ Traditional Karate blog~

田舎での暮らしや思いを書いている老いぼれです。 また、H・李小龍北海道倶楽部・Kと日本IUMAに所属しマニアックなことや技術的鍛錬で人生を楽しむ日々です。 芦原空手(四国修行時代)や日々修行の溜め込んだ秘蔵映像を発信していきます。

私が見た43人サバキの真実・・・



日曜日は昔のビデオを引っ張り出し鑑賞しました。
新国際空手道連盟 芦原會舘北海道支部第一回審査会の模様です。
残念ながら43人サバキの映像ではありませんが頭の隅にしっかり記憶されて居ります。

基本の三戦立ち始め、各機能の動かし方の理論、今まで学んだ空手との大きな違いに焦りを感じたこと。
松本師範代のウォーミングアップの正確な突き、受け、蹴りの基本だけで圧倒されたこと。

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生まれ初めて組手の型をビデオ以外で目の当たりにしたこと。
私が短期間で覚えた組手の型-3と松本師範代の型の動き方は比べものにならないくらい雲泥の開きがありました。芦原英幸館長からは「お前の型は上手いが蹴りが軽すぎるんよ、それじゃ当たっても効かんけん!軌道から治さんと。」嬉しいアドバイス受けました。

芦原英幸館長は、松本師範代(当時関西本部)にサバキ審査開始早々、鋭い指示を出されて居られました。
少林寺拳法日本拳法剛柔流、松涛流、和道流、極真流、柔道等他流派有段者が沢山並んで正座し、松本師範代の胸を借りて挑みました。
旭川支部はサバキの言葉を初めて聞いて、いったい何だ?いや~組手だべや!いつも通りガッツで体当りで行け!そんな気持ちで挑みました。しかも、初めて芦原館長に会うのに他流派の色帯、黒帯を堂々と締めて来たのは後の祭りでしたが。


序盤、中盤も難無く、フットワークでモハメド・アリの如く師範代の周囲を廻る者、ピョンピョン飛び跳ねてトリッキーな二段蹴り、三段蹴りする者、正面から全力で突進する者、背負い投げ掛ける者、全てサバキが決まり最後の一人が準備運動始めた頃、師範代は身体や顔を両手でパチパチ叩いて気を引き締め静かに呼吸を整える姿がありました。

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旭川支部の私の先生はゆっくり畳マットの中央、松本師範代の前に立ち十字切って一礼、芦原館長の号令「GO!」お互い間合いを取りました。
周りの旭川支部仲間達は「先輩、ガンバ!行ける行ける ファイト!」大声援送る中、先生は重たい突きと顔面へ掌底で狙い、下段・中段回し蹴りで突進しつつ松本師範代のステップに交わされても体格を生かし突進して行きました。

松本師範代は腕を柔かく構え、少し指先を揺らしタイミングを測り、後ろへ下がらず1と2のラインで死角へ器用にひらりと交わしブロックする衝撃音が響きました。
下段回し蹴りが触れた瞬間、狙い棲ましたカウンターの鋭い回し蹴りを放ちました。
ガツン!と胸元へ飛んだ回し蹴りと肘ブロックの骨と骨がきしむ鈍い音が・・・「それまで!」芦原館長の高い声が会場中に響きお互いに一礼、芦原館長に一礼、終わりを告げました。
芦原館長曰く「今のどうだった?」「オス・・先輩が見えませんでした」
私達旭川支部は何故そこで止めるのか?とことん最後までやってもいいのにと勝手に感じていました。

芦原館長は、サバキを終えた休憩中、廊下でくつろぐ所へ近づいて「お前達のリーダーは凄いな。松本は普段はサバキで蹴らんのよ。だが顔面狙った蹴りは軌道修正しよったけん、冷静だった。また、あの蹴りを来よるとわかりブロックしたのも大したものじゃけん。」そう言って二人を誉めて居られました。

芦原館長は自分の弟子だけでなく、相手のことも同等に考えて下さることに感激しジ~ンと芦原館長の話しに聞き入りました。
私は、この初めて体験した「サバキ」を直接学びたいと四国行きを決めたのです。

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数年後の松山修行時代、館長書斎室に呼ばれ月刊空手道に載せる写真記事と43人サバキの真実の手書きの記事を見せて頂きました。
「どう、思い出すじゃろ。しかし、あれ以上やらせたら救急車呼ぶ騒ぎになっていたけん。」

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鍛練は続く。