~ Traditional Karate blog~

田舎での暮らしや思いを書いている老いぼれです。 また、H・李小龍北海道倶楽部・Kと日本IUMAに所属しマニアックなことや技術的鍛錬で人生を楽しむ日々です。 芦原空手(四国修行時代)や日々修行の溜め込んだ秘蔵映像を発信していきます。

誰もが芦原道場へ・・・


"Kyokushin Karate"極真 第9回全日本大会(1977年) 3

この映像は芦原道場から初出場する中山猛夫選手の動きに注目しました。
芦原先生の感高い声のアドバイスが聞こえ、忠実に聞き逃さない動きも見えます。
当時は東 孝さんも松山道場に稽古に来られていたと先輩から伺いました。
突然、2階道場に通う東さんに「えらいごっつい人が来たもんよ」と噂がたったほどです。
懐かしい松山城での稽古指導風景です・・・映画撮影用で観光客も吃驚!
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芦原館長も二宮師範もまだ若く、此れから門下生を強く育てようとした熱い時代です。
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当時は実践的な捌きを徹底的に指導され全日本での優勝を目指して日々鍛練されていました。
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この時代は中学3年の頃で学校中は空手バカ一代極真空手ブルース・リーの大ブームでお金もないのに映画館には入り浸りでした。
四国へ行けば、必ず強くなれる!ケンカ十段こと芦原先生の指導を受けたい!
その頃からの思い、夢が大きく膨らんでいく時期でした。

松山時代に夜の稽古が終わり、総本部道場から松山城までランニングし撮影された同じ場所で友人とスパーリングよくやったものです。
夜の松山城周辺はデートの穴場でアベックも沢山。しかし、色気も何もない私達は誰が居ようが居まいもお構いなしでした。

芦原館長は当時、道場で一生懸命、稽古するのでええんよ!とズーッと仰っていました。
しかし、全国から集う若者達は道場稽古それだけじゃ治まらず、22:00からほぼ毎日、一時間ほど自主トレーニングで松山市内駅周辺をランニングやダッシュしたり、ヒンズースクワットや耕運機、腹筋、背筋、腕立て伏せ、シャドー、スパーリングを隠れて稽古したものです。
目や耳、鼻には砂が入るは、全身汗まみれ、砂埃は被るは、喉は渇くは、お腹は完全に空いて・・・一日が終わったー!と云った達成感、いい思い出です。

ある日、私達は1階の狭い事務室に呼ばれ、館長から頭ごなしに物凄い雷が落ちました。
最初は何故、怒られているのか全然わかりませんでした。

夜中遅くまでダラダラ稽古していると怪しいオカルト集団に洗脳されたりケンカ事件に巻き込まれたり、そのことを親の如く心配されてのことでした。
その分、道場ではフラフラになるまで熱い稽古に汗流したものです。
捌きの鍛練は続く・・・