~ Traditional Karate blog~

田舎での暮らしや思いを書いている老いぼれです。 また、H・李小龍北海道倶楽部・Kと日本IUMAに所属しマニアックなことや技術的鍛錬で人生を楽しむ日々です。 芦原空手(四国修行時代)や日々修行の溜め込んだ秘蔵映像を発信していきます。

寮の玄関前へ・・・

巷は祭日でございます・・・本日もありがたい勤務でした。



今年の春に撮影した私の青春を刻んだ故郷、芦原會舘寮です。

通称、若虎寮とも呼ばれました。
映像では1:37から当時の小笠原ビル歩道から始まり態々エレベーターに乗り2階へ進みます。わざわざエレベーター?と思うかもしれません。
当時そのまま屋上へ上がり物干し竿を両側に布団と毛布を干しながら、その間に入り芦原英幸館長が考案した伸縮性Aバトンという武器術を練習しました。
どこからも誰からも見えない様にすることが第一条件でした。
このエレベーターにはそんな思い出があります。
寮へ繋がる廊下や玄関ドアも昔のままでした・・・階段降りて右へ振り向くとバイトへ近道として使った2mものブロック塀が見えます。その塀をひとっ飛びで乗り越えました・・・跳躍の鍛錬です。普段はこの階段を使い道場へ向かいました。

稽古後、背中の広い館長の後ろを追い夕食を御馳走になりました。
話がはずんで初めて寮にお邪魔し、居間にある橙色のコタツ囲んで坐りました。
職員さんと雑談しながら「しかしお前等汚たないんよ、掃除やりよるん?」
真夜中でしたがしばし空手武論は続き、眠気も何も吹っ飛びました。
翌日、職員さんから言われました。
「○ちゃん、もう館長だっきゃ連れて来ないでっ
「オス、俺じゃないべさ・・・」
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当時の芦原會舘の看板・・・アシハラアスレチックの渋い絵画がまた良かった・・・今はありません。この看板前を通り道場へ行きました。よく館長は看板前でポケットに手を入れて散歩されていました・・・呼掛けられたら、着いて行くしかありませんでした。
この通りを200mほど行くと右手にお弁当屋さんがあり、一番安くて旨い海苔弁当を買いました。・・・今はありません。

今回、元寮の玄関前へ立つと当時の職員、寮生の笑い声、館長の声が聞こえました。

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 総本部で居残り稽古

鍛錬は続く・・・